若き「現場力」よ
大学を変えていけ。
前稿では地方の私立大学であっても、地域と密接に関係したブランド力があればやっていけると書いた。
しかし、思えば日本の私学の教職員は、大学とは何ぞや、教育とは何ぞや、などひとつひとつのことに不勉強であると感じる。大学の経営トップが方針を打ち出しても、それを理解できる現場が非常に少ない。トップもそれがわかっていない。それが悲劇といえる。
私が考えるのは大学職員こそが大学経営の要であるということだ。
経営方針を具体的な成功に導くには、それを担える現場がいないと難しい。企画・立案・実施に積極的に関わる職員が必要なのだ。
自ら、教員、学生、経営陣と対話し、行動できる大学職員を育てることが、大学経営の第一義だ。
これはひとつの事例だが、かつて所属した大学で、授業料の値上げに関わったことがあった。これまで競合する学校群のなかでもっとも安価に設定されていたところを「授業料が高くても来てもらえる大学にしよう」という方針を具申し、採用された。
「授業料が高くても来てもらえる大学とはどういう大学か」について、徹底的に議論を重ね、さまざまな企画をきめ細かく立案し、実施に携わった。
具体的には国際交流の活性化の作業で、マレーシアとの関係構築を通して、優秀な留学生を確保していく流れを作った。
ときに1980年代、中曽根康弘首相による政策「留学生10万人計画」のもとで、当初は複数他大学との共同プロジェクトだったが、学内の教職員を毎年20数名連れていき地道に環境を整え、様々なことに取り組み、本学が主導できる状況を組み立てていった。
「世界トップレベルの優秀な学生を受け入れ、ともに研究活動ができる大学」。これが、「学費が高くても来てもらえる大学」につながっていったと思う。今では入学者の学力層も高くなり、学費も競合大学の中では最も高くなった。
学費に関しては、コロナ禍においては新たな施策も必要になってくるだろう。
こんな例もある。
ある地方の大学でブランド化の作業が動いている。そこは小規模な大学ながら、日本では類を見ない研究活動があり、地域ブランドとも密接に関係しているが、悲しいかなほとんど知られていない。
自分が職員として現場にいたなら、その研究価値をブランドとして地域から県全体へ、日本へ、そして海外へと高めて歩く活動をコツコツとやっただろう。それらを通して、行政、政治とも積極的に関わり、予算の流れを把握し、文部科学省と地域活性化の動きにも関与していけたら、と想像する。
それは実は、私自身が所属大学の国際化を通して取り組んで結果を出してきた作業だ。
大学職員という立場は、教員との関係において、思うように力が発揮できない、という声も聞く。だが時代はどんどん動いていく。大学経営は新しい現代的な寄付行為によって運営されるようになり、職員の力も発揮できるようになっていく。信念と勉強によって大学を変えていくことができる時代もそれほど遠くない。
先日も「日本学術会議」が推薦した新会員候補のうち6名の任命を菅首相が見送る、という出来事があった。ことの是非は置いておいて、前代未聞のことが出現し、時代はどんどん動いていくのだ。
確かなことは、少子化であるこということ。入学定員をさらに割ってくる。
さらにコロナ禍で状況はどんどん変わって行く。
現状の学部学科、専門課程でどうやって生き抜くか。
自ら工夫して考える大学職員が主導して、大学を新しく作り変えて行く時代になることは間違いない。
(2020年9月初旬〜10月上旬収録)