アネスタ総研
顧問 小暮 剛一 随想録
シーズン1(2020年9月初旬〜10月上旬収録)

Kogure`s Essays ポストコロナ社会で生き残る大学とは

#02

コロナ禍における、
地方大学の公立化の見方。

ここ何年か地方の私立大学が公立化することで生き残ろうとする動きがある。これをどう見るか。

地方にとってその大学がなぜ必要なのか。それが曖昧なまま公立化し、「中身は変わらずに授業料が安くなっただけでは単なる延命では」とか、「自治体による不良物件の購入だ」などの批判を受けるのも仕方がないかもしれない。また地方私大を中心に約4割が定員割れとなり「大学の数が多すぎる」という指摘もあるのが実際のところだ。

しかし、よく考えてみてほしい。
今日大学が大衆化する過程において、第1次ベビーブーマーが18歳になる1960年代を目前に、その世代を大学で収容するという方針が示され、それは国立大学はそのままにして私立大学の定員増に委ねられた。私立大学は授業料によって成り立っていたが故に多くの学生を水増しして受け入れてそこを乗り切った。文科省は大量に水増しした私立大学を咎めなかった、という過去がある。
そういうこともあって文科省は、定員の2〜3割しか志願者がない大学にも、そのこと自体は問題として指摘はしていない。

もとより地方私大は、地元の政治、経済と密接に関わりあっていて、地域社会をどう形成していくか、という課題の中に大学がある。大学としての本来的な高度研究・教育活動とともに、地域にある課題に取り組むことが求められる。
よって定員割れという現象になれば「既存の中でどう転換させながらいくか」という判断のもとに延命させることになる。そのひとつが公立化ということだ。
公立化することによって学生が集まることは事実であるわけで、集まっている間によき大学に生まれ変わっていけばいいのではないか。ただ、それには、10年もしくは、20年かかるかもしれない。

その一方で、地域活性化と規制撤廃を旗印にする政党も出現している。
歴史を振り返れば、江戸時代の社会のありようとして、各地方にそれぞれ特有の文化があり、その上で江戸幕府は中央集権的に緩やかに機能していたと考えられる。それぞれの文化のもとに地方は繁栄していた。

今日はグローバルな時代となり、都市圏に人が集中している。そこに多少強引にでも施策しないと地方に人がいなくなってしまう。
これを強制的に進めるのが、大都市圏に位置する大学の定員厳守であり、地方大学の政治がらみの延命(公立化)であり、一時的にでも地方大学を繁栄させて、学生を引きとどめる方策と言えるだろう。

そういう作業の中に生き残る道が生まれるかもしれない。
たとえば理念に基づいて、地域ブランドと密接に関係した大学なら、地方でもやっていけるはずだ。
コロナ禍により、企業には本社機能を東京から地方へ移動させる動きすら出てきている。
だから逆にいうとブランドが形成できない地方私大はいち早く撤退したほうがいい。

定員割れを起こした大学を一括りにして「行っちゃいけない大学」として追っかけて、本を書いている人がいる。こんなつまらんものを誰が読むのか、と思う。
先のことはわからないんだよ。

(2020年9月初旬〜10月上旬収録)

Profileプロフィール
アネスタ総研顧問
小暮剛一
1945(昭和20)年 法政大学社会学部社会学科を卒業し、芝浦工業大学へ入職。
2009年6月より芝浦工業大学 理事長(〜2010年6月)。
その後、上海日本人学校董事長(2011年4月〜2015年3月)、佐久大学顧問(2015年8月〜2018年7月)。
大学教育全般のほか、国際教育や差別問題にも関心が高い。
Profileプロフィール
アネスタ総研顧問
小暮剛一
1945(昭和20)年 法政大学社会学部社会学科を卒業し、芝浦工業大学へ入職。
2009年6月より芝浦工業大学 理事長(〜2010年6月)。
その後、上海日本人学校董事長(2011年4月〜2015年3月)、佐久大学顧問(2015年8月〜2018年7月)。
大学教育全般のほか、国際教育や差別問題にも関心が高い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です