――4大進学実績の少ない福岡女子商業高校に着任されて1年目に国公立大学に20人を合格させ、地元メディアでは「福岡の『ドラゴン桜』」と報じられました。また2021年度からは、全国で最年少といわれる30歳で校長に就任されました。経緯を教えてください
私自身は北海道出身です。
高校教員をめざしたのは、高校時代は野球部でしたので、野球部の顧問になって生徒たちと甲子園に行きたかったからです。
ところが教員として採用され実際に勤務しはじめると「野球だけできる教員はいらない」とはっきりいわれました。国語科の教員である自分に何ができるかと考えたときに、大学進学を希望する生徒を強く後押しができるようになりたいと思いました。
そのようなタイミングで兵庫県神戸市にある神戸星城高校で教員の募集がありました。同校は女子商業高校を前身とする学校で、偏差値は50程度なのに国公立大学への進学が50名を超えていました。
そこにどんな指導があるのか。
大学進学を希望する生徒に「がんばれ」と励ますだけでなく、具体的な強みをもって後押しできるようになりたい。
そう考えたところにご縁があり、採用されました。
着任してみると、そこで行われていた指導は、とても泥臭いものでした。
国公立大学の入試のうち、教科以外で選抜する入試、とくに商業科の生徒でもめざせる小論文と面接を組み合わせる学校推薦型入試などに注目し、教師自身が過去に出題された小論文をひたすら解いて解答例をつくり、そして放課後の16時から20時まで、常に50人くらい行列して待つ生徒たちを相手に添削をしていました。
魔法でもなんでもなく「そこまでやったら確かに合格できるかもしれない」という指導がありました。
1年目は見習いの予定でしたが、急遽小論文の責任者的なポジションでやらせていただくこととなりました。1年目は私自身が勝手がわかっていなかったこともあり、課題の残る1年となりましたが、2年目は自分なりの工夫を加えて指導したところ、同校でも過去最高の「83名合格」という結果も出ました。
もちろんそれは私の成果というわけではありませんが、2年間やらせていただくうちに、「進学実績だけではなく、高校としての魅力をより追求したい」という想いが強くなり、新たなチャレンジを決断しました。
――福岡にはどういうご縁があったのでしょうか
神戸という街は、北海道出身の私にとって文化の違いが面白く、とても魅力的でした。
九州は住んだことがなかったので関心があり、探し始めたところ、かつておせわになった先生から「校長先生自身が勉強会によく来ているユニークな高校があるよ」という話をお聞きしました。
それまで他校で採用通知をいただいていても「前任校で経験があったとしても、1年目であることは忘れないでね」といわれ、「だったらいいです」と断ったこともありましたので、福岡女子商業高校の校長先生とお会いして「今までの経験をフルに活かして生徒を助けてほしい」といわれて、決めました。
――これまでの指導経験を、福岡でどのように活かされたのですか
大学入試の小論文は、日常生活のあらゆることがテーマとして出題されます。ですので、視野を広くもつこと、そして、教科書に縛られずに日常の出来事をどう噛み砕いて自分の意見として落とし込むか、日々アンテナを張り巡らせることも大切です。
神戸星城高校は、国公立に行きたくて入学してきている生徒も多かったので、160人程度いる志望者全体をシステマティックに指導するやり方でした。それだけの人数の生徒たちを合格に導くにはそのようなやり方しか私にも思いつきませんが、指導方針に生徒を沿わせる進め方で、私自身はそこに違和感をもつようになりました。
福岡女子商業高校(女子商)は、そもそも大学進学を考えていない生徒が多かったので、強制参加ではなく、「1ミリでも大学に行きたい人集まって」と声をかけて、生徒たちと楽しくやった感じですね。
――進学実績が多くなかった学校で呼びかけたことを、生徒たちはどう受け止めたのでしょうか
衝撃だったそうです。
「商業高校で国公立大学に行くるわけなか」という話はよく聞きました。保護者からは「あんた騙されとるんやなかと」という声もあったそうです。
――そのなかで、何から変えていったのでしょうか
何のために大学へ行くのか、からはじめて、大学・短大・専門学校・就職の違い、生涯賃金と人生の選択の幅のこと、たとえば、大学に進学しないとなれない仕事は何か、などについて、具体的な数字を使って話しました。
とくに保護者の方からは、九州エリアということもあるのでしょうか「女の子が家から出るなんて」という意見が強くて。
「うちは短大でよかです」っていう方には、大学進学率が50%台後半になって、昔と違って男女差はなくなっていること、今では短大は全体の5%くらいしかないことなどをていねいに説明しました。
ただ、保護者の方が私よりも年齢が上ですので、具体的なデータのほか、新聞記事に掲載された「終身雇用崩壊、会社に入るだけで助かるって時代じゃない」という識者の意見を示したり、他には「結婚して子どもを産むと、1,500万から2千万かかるっていわれますけど、そうなると保護者でも助けるのは難しいですよね」とか、「大人になって困難を迎えたときに、あそこがターニングポイントだったって思われたらしんどいですよね」という話もしました。
保護者のなかには「やりたいことや、学びたいことも決まっていないのに大学へ行かせても無駄では?」という方もいらっしゃいました。
「いやいや、高校までで生徒が自由に使える時間ってどのくらいあったでしょうか。8時半から4時まで中学・高校で授業を受けて、その後部活動やって。土日もここへ行きたいあそこへ行きたいというところをまだ幼いからという理由で認めらないなかで、将来の夢って決めることができますか?」
「大学は人に出逢いにいったり知らないところへ旅に出たり、自分で使う時間を自分で決めることのできる絶好の機会。その時間が、将来のために必要なのではないでしょうか」と話しました。
その後「国公立大学にいきたい人、集まって」という呼びかけに、すぐさま25人ほどの生徒が教室に集まりました。
――基礎学力が十分ではない生徒もいるなかで、どう指導されていったのでしょうか
基礎学力が足りなかったとしても、大学進学を考えたことがなかった生徒が「絶対合格できるよ」って話をした後の「スイッチの入り方」はとても大きいものがありました。
放課後16時から20時までの補習がスタートしました。
はじめの60分は講座形式で、その後は小論文を実際に書く時間としました。グループを半々くらいに分けて、生徒たちがどんどん添削に持ってくるような形式です。講座が終わったら家でやってもいいと伝えていましたが、多くの生徒が20時まで残ってみんなでやってましたね。
小論文のなかでも「テーマ型小論文」からはじめ、たとえば「自由と勝手の違いはなに」「焼肉食べ放題に賛成?」などのテーマでディスカッションした後に文章を書くトレーニングをしました。次に、私立大学の小論文に移り、その後すぐに国公立大学の過去問に取り組みました。
しっかり解説した後で実際に書いてもらって、「できた」という実感が得られるようにしました。
前任校で指導していたころは、生徒たちは「これさえやったら国公立受かるでしょ」という感じでしたが、女子商では、わからないなりにも提出してきて、飢え方、といいますか、受かるかどうかわからいけどやってみたいというところで勉強量、学習量が違いました。講義についても食いつきが強く、こちらがありがたいと思えるくらい聞いてくれました。
――コロナ禍のもとで、実際の指導はいかがでしたか
コロナウイルスの感染が拡大しはじめた2020年4月に赴任して、4月の終わりごろまで進路の話が何も出なくて、やはり焦りました。5月からZoomで進路に関する面談をはじめて、それがその生徒たちとの初対面でした。将来についての雑談が多かったのですが、でも振り返るとそれが重要な機会になりました。6月まで待っていたらきっと間に合わなかったでしょう。
たとえば昨年、和歌山大学の経済学部に学校推薦型選抜で合格した生徒は、何気ない話題から「ジャニーズが大好きで、東京か大阪にいつか出たいんです」という話になりました。「だったら和歌山大学に、経済学部があってね」「和歌山だったら家賃が安そうですね」「国立大学の学費ってこのくらいですむよ」って盛り上がり、本人は「絶対行きたい」ってなりました。
その生徒はもともと就職志望で、保護者からも経済的な理由から「就職しかダメ」っていわれていたようです。組も大学進学はほとんどないクラスでした。
その生徒は、学年のなかでもいちばんストイックにがんばっていました。
他の生徒たちが保護者から進学のOKが出るなかでその生徒だけがなかなか了解が出ない状態でも、20時まで残って勉強をしていました。
幸運なことにこの年から修学支援の制度が充実しました。
進学シミュレーターでお金を計算して、学費もかからないし、給付型を使えば生活もなんとかなることがわかって、チャレンジできるんじゃないかという話をしましたが、保護者も自分たちが大学に行ったことがないってことで怖さがあったかもしれません。
夏休みにオープンキャンパス行かせてほしいって頼んでもだめってなって、本人がこれまでに書いた小論文を保護者に見せたんですね。
そしたらお父さんの心が動いたみたいで、次の日泣きながら来て「受験合格祈願のお守りもらいました」とやっと認めてもらえて、その後合格できた、というエピソードがあります。
(2021年8月取材/「#02_自分で決めて、責任を持つ。生涯使える『挑戦する力』を、すべての生徒に身につけさせたい」に続く)