ロンドンパラリンピック日本代表コーチを経て、SRCを2016年に立ち上げ、その後49歳で大学にはじめて入学し、改めて学びはじめ、大学院へ。そして修了と同時に招聘研究員に。「世の中を変える」ために必要なことは。
●プロフィール
塩家吹雪(しおや ふぶき)
特定非営利活動法人シオヤレクリエーションクラブ 理事長。
1971年生まれ。中学より陸上をはじめ、高等学校卒業後は専門学校に進学し、その後は陸上クラブの選手兼代表者としてクラブを牽引。
2000年より視覚障がい者の短距離走伴走をはじめ、数々の国際大会に出場。指導者としてパラアスリートの強化・育成や日本代表選手団のコーチ・監督を務める。障がい者が一般の陸上大会に出場できるよう主催者に働きかけるなど、障がい者の競技環境を整える活動にも従事。
2024 年より早稲田大学スポーツビジネス研究所 招聘研究員。
ーー2024年より早稲田大学大学院スポーツビジネス研究所 招聘研究員となり、SRCの運営も続けていらっしゃいます。そもそも、陸上はいつからはじめたのですか。
中学1年です。
親がいないからといって、ぐれてばかりもいられないところで、なぜか陸上部に入りました。当時、全然足も速くなかったのに(笑)
そのとき出会った先生が「スポーツの世界は、どういう環境で育っても、1位を取ればそれは『すばらしい環境』と評価される。あなたも頑張りなさい」と。その言葉が私を変えてくれました。
先生の期待に応えようと、練習を一日も休まずに励んだところ、1年もしないうちに学校で一番速くなって、3年のときに100mは11秒7、200mは23秒2までになりました。
高校は、陸上で知られる本郷高等学校に進みました。
ーー高校進学されて、その後はどんな進路選択をされましたか。
陸上漬けでした。でも怪我が多くて、記録はそれほど伸びませんでした。
卒業後は大学に行って陸上を続けたかったのですが、金銭的な事情から専門学校に進学しました。
同級生に県大会で決勝に行く実力の持ち主がいて、彼は地元の陸上クラブで競技を続けていました。彼とともに専門学校の陸上大会に出場し、彼は200mで全国大会優勝し、私は100mで優勝しました。
大学には行けなかったけど、それがきっかけでクラブチームを作って、サラリーマンをやりながら競技を続けました。
でも心のどこかでは、大学に行き、インカレでリレー選手になって走る自分を思っていました。
ーープロフィールを拝見すると、2021年に産業能率大学へ編入学し、その後、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科へ入学されています。
2016年にSRCを設立したのち、SRCをもっとアップデートしたい、自分自身をバージョンアップさせたいと思っていた2020年に新型コロナウイルスの感染拡大がはじまりました。
私は50歳を迎えようとしていました。
SRCの会員の大学生から「キャンパスに行けない。リモートばかり」と聞き、キャンパスへ通学しないで学べる通信制の大学を調べたところ、産業能率大学にスポーツマネジメントコースがあり、SRCの課題の解決に向け、役立ちそうだとわかりました。
専門学校を卒業してからすでに25年になろうとしていましたが、専門学校で修得した単位が活かせることもわかり、3年次に編入しました。
ーーSRCを運営をしながらの勉強はいかがでしたか。
本当に大変でしたよ。
通信制ですから教科書がバーンと送られてきて、自分で勉強して、レポートを書いて提出し、科目修得試験を受けていくわけですが、その一方で日中はSRCの業務がありましたから。
夜中に居眠りをしながらレポートを書き、どのくらい頭に入ってるか分からない状態で勉強しましたが「何か違う」。
思えば、自分の目標は大学の学位取得じゃない。
インクルーシブな共生社会の実現が目標なのに、世の中が全く変わっていない。
SRCのスタッフにそんな話をしたら
「塩家さん、大学院に行ったらいいんじゃないですか?」。
今やっている活動を広げるには、口で言っているだけではダメで、論文という形で発信してはどうか、ということです。
夜中に勉強するのも大変な状況で、大学院は無理だろうと思っていたら「1年で集中して勉強できるところがありますよ」と早稲田の大学院を教えてくれました。
「塩家さんが過去にいろんな賞を受賞したことや、パラリンピックでの経験を活かせば、専攻によっては受け入れてくれるかもしれません」といわれて、ゼミを見学したところ、「自分でもできるかもしれない」と思ったんですね。
そこで学んでいる人たちが、研究テーマなどのネタに意外と苦労していることを知りました。
自分にはネタが山ほどあり、これまでのことを時系列に並べ分析・考察し、意見をまとめるだけでも相当なボリュームを書けるんじゃないか。
そんなこともあって、じゃあちょっとチャレンジしてみようかと4,000字の研究計画書を夜中に書いて、うちのスタッフから「こういう言い方よりもこういう方がいい」とアドバイスを受けながら、徹底的に書いて提出したんです。
そうしたら面接に進み、合格して入学することになりました。
ーー今日の高校生は、大学に進学しても約10%が中退してしまうというデータもあるようです。ご自身を振り返り、高校生へのメッセージをお願いします。
私自身を振り返れば、高校からそのまま大学へ行き、競技を続けながら大学院まで進む人生もあったのかもしれません。
ですが、私は、学びはいつでもできるし、いつでもいいと思っています。
今の高校生は、どうしても情報が先行し、人と人との直接的なコミュニケーションが希薄になりがちです。SRCの子どもたちを見ても、LINEとかメールとかでは直接やり取りできるけど、対面ではなかなかお話ができない子が多い。
だから「何でもいいので、自分の好きなことを続けること。10年20年と長く続けることで自分の目標が見つかる。ぜひそういうものを見つけて、がんばってほしい」と呼びかけています。
高校2年生になって進路選択の時期になっても、選べないこともあると思います。好きなことを続けていれば、学ぶことが必要になるタイミングが絶対来ると思います。
私の場合は、大学院に行きはじめて、日頃テレビの向こうでしか会えないような人たちとネットワークが広がりましたし、SNSでも1,000人以上とつながりました。
年齢は関係なく、50代になっても学ぼうと思えばいつでもできるので、諦めないでひとつのことを続けてほしいと思います。
ーー「インクルーシブな社会の実現」に共感する高校生・大学生も多いと思います。何から実践していけばいいのでしょうか。
先に「障がいもひとつの個性」とお話ししましたが、やはり、さまざまな個性を持った人たちと直接関わる場所を自分で見つけて関わることが大切です。
パラリンピックを見て感じたことを発信していくのもいいきっかけになると思いますが、生で見てふれあい、同年代よりもむしろ下の世代と、とくに子どものうちから関わることがとても重要です。
たとえば視覚障がいの子どもたちがいる支援学校のイベントに参加をしてみるとか、自閉症とかダウン症の子どもたちと一緒に遊べるようなそういうところに足を運んでみるとか。
ちなみにSRCには、下は未就学の子から、上は全盲の50代の選手まで多くの人がいて、健常者も障がい者も、腕や足がある人もない人も一緒になって普通に走っています。見学に来ていただいても全然構わないので、ボランティアのスタッフや障がい者の方がどういう行動をしているかぜひ直接見てください。
ーーそういった「個性とのふれあい」は、私たち大人こそ絶対的に足りていないのかもしれません。
先日都会の交差点で、明らかに視覚障がいの子が杖をつきながら信号を待っていて、青か赤がわからない動きをしていました。
ところが、誰も手を出さない。本当にこれがまさに日本の今の社会です。
「一緒に行きましょう」と声をかけたらもう普通に話しはじめて。そこで「住みにくいですか?」と質問したら「信号とかちょっとしたところが、声をかけにくい」と。
やっぱりできるだけ一緒に生活し、ともに何かに取り組むことを日々やっていかないと変わらない。その点でSRCのような考え方をするコミュニティが増えていくことが、障がいを持っている人たちの生活しやすさの向上につながり、社会全体もよい方向に向かっていくと思います。
ーーインクルーシブな共生社会は、健常者にとってもよき社会であること。SRCでそれをどのようなときに実感しますか。
わかりやすい例でお話ししますと、自分がゴールし競技が終わったら、他の選手は見ないでどんどん用事を済ませますよね。健常者ばかりのクラブではこれが当たり前です。
SRCでは自分が走り終わっても、みんなでゴールまで応援します。健常の子も障がいがある子も。
だから健常の子が先にゴールし、戻って障がいの子たちと一緒にワーッと走っていくっていうシーンが普通にあるんですね。
これは、コーチがそうしなさいと指導したからそうなっているのではなく、子どもたちが自から判断・理解したことによる行動で、それがSRCの日常なんです。
ですからたとえば、健常の子が全盲の子とはじめて会うと「なんで目が見えないの?」って目を見て質問したりします。
そんなときは保護者が「そんなこと聞くもんじゃありません」とたしなめることが多いように思います。
SRCでは、ぜんぜん問題じゃない。聞いていいんです。聞かないと分からない。
だから、そういうのはコーチも保護者も黙って、子どもたち同士の会話をさせます。
「ぼくは目が見えないんだ」って、自分からちゃんと相手に教える。そうすると「そうなんだね」「次会った時もまた一緒に走ろうね」と友だち関係か築かれていく。
保護者が「そんな聞いちゃいけないよ」といった時点で既に子どもたちの間に距離ができてしまいます。
こういうことが普通になり、一緒に走ることも普通になれば、たとえば学校でも街中でも目が見えない子がいても、気にならなくなるじゃないですか。
さきほどお話ししたように、メガネかけてる子がいればかけてない子もいるってことと一緒。子どもたちに任せれば子どもたちは子どもたちなりにルールを決めて、自分たちが障がいがあるなしに関わらず自分たちでいい環境を整えるということです。
ーーこれからの活動について教えてください。
健常の人も障がいをもっている人も、一緒になって何かに取り組む環境をつくるニーズは、陸上クラブなどスポーツにとどまりません。SRCでは、英会話教室などの新しい試みもはじめています。
私自身は、中学高校はもちろん大学で、生徒や学生の皆さん、また先生方と、このテーマで直接お話しする機会が多くなることを願っています。
ーー本日はありがとうございました。