ダイバーシティの実現に向けた取り組みが進むなか、社会福祉分野の大学教育はどうなっているのか。
日本社会事業大学のヴィラーグ ヴィクトル先生にお話しを伺う「後編」は、ハンガリー出身のヴィラーグ先生から見た日本のソーシャルワーク教育と、グローバルな視点から見た日本の課題についてお聞きました。
既存の法律と国家資格のあり方では
今日の複雑な諸問題に対応し切れない
――今日本では、ダイバーシティなど、多様化の重要性が指摘されるなかで、今日の社会福祉の課題・問題全体から考えると、もっと注目されてもいいと思います。なぜ日本では関心が低いのでしょうか。
諸問題への対応は、既存の法律を運用するだけでは難しいのです。
また、日本の社会福祉士は日本の国家資格ですから、最初にご質問いただいたように、多くの学校では社会福祉士などの国家試験の受験資格に対応した科目を中心に学びます。それが最低基準でありながら、最高基準とも思われて、全てになってしまっているというところがあります。
その結果「国家資格者養成カリキュラムと、国がつくっている福祉の制度体系に入っていない問題は、日本のソーシャルワーカーの仕事ではない」という悪い流れになってしまっているかもしれないのです。
国家資格のカリキュラムが改定されることにより多様性や多文化に関する内容が増えていくことが期待されますが、そのようになりにくいのは、社会福祉の分野だけではなく戦後の社会政策や公教育、国際関係などの諸問題が日本の場合は複雑に絡み合って関係しています。
これからのソーシャルワーカーは、そうした非常に複雑な問題点を踏まえないと専門性を発揮できないのです。
私が学生に呼びかけている「大人しくないソーシャルワーカーになってほしい」というメッセージにはそういった背景があります。
――先生はハンガリーのご出身です。ハンガリーはウクライナに隣接し、移民政策やEUでの立ち位置などで昨今とても注目を集めています。どのような経緯で日本にいらしたのでしょうか。
1983年生まれで、1989年から小学校に入っている世代です。民主主義革命後に入学した最初の学年ですから、社会主義時代の教育は一切経験していません。(*3)
ハンガリーは基本的に中学校がなくて、小学校が8年、高校が4年、計12年間が一般的ですが、当時は戦前のエリート教育を復活させようと90年代から4年間の小学校の後に高校に8年間通うような学校ができて、そこで学びました。
そこで、大学への進学を考える時期になり、他国への留学を考えるようになりました。留学先としてはEU(*4)や他国もあったのですが、日本に高校を卒業してすぐ行けるプログラムがあり、もともと日本の文化や社会に関心があったので、応募しました。また、治安も良いということで、遠い中でも、親にとっても納得しやすかったです。
*3)ハンガリーは第二次大戦では枢軸国側で、戦後はソビエト連邦の影響下に置かれた。その後1980年代の冷戦構造の崩壊に伴い、1989年に民主制の共和国へと体制を転換した。1999年にNATOに加盟。
*4)ハンガリーは2004年にEUに加盟。
将来の志望や進路は変わってもいい
人も国も、変化していくもの
――日本に来たときには社会福祉にすでに関心があったのですか。
それはちょっと違います。
私が学生に「進路は軌道修正してもいいですよ」といっているのは、それも理由なのです。
高校のころは文系で、周囲は弁護士を選ぶのが主流のなかで、数学が得意だったところで経済系を選び、日本に留学する直前は半年間、ハンガリーの大学で経済学部で学びました。実は親も近い分野で、今から考えれば自分の純粋な選択ではなかったかもしれません。
経済学部の基礎科目で学んだ社会学がとても面白く、留学準備をするなかで「やはりお金よりも、人や社会の方が面白い」と思い、経済学から社会学に変更しました。
日本に来て大学3年生となり、ゼミでは福祉社会学の先生が開講している「社会問題の社会学」を選びました。
とくに福祉国家論やマクロ政策に関心を深めるうちに、もっと実際に人の役に立つ応用的な社会福祉学に取り組みたいと思うようになり、大学院は、小規模で福祉の専門大学であるこの日本社会事業大学に入りました。
「多文化ソーシャルワーク」を研究対象とするようになったのは、学部の卒業論文の準備をすすめるなかで、経済連携協定でフィリピンから介護労働者の受け入れ体制が十分とはいえない状況を把握したのがきっかけです。労働者を受け入れるからには、1日の中で仕事以外の16時間は生活者ですから、地域の中でのニーズ対応や社会的な受け皿まで考えなければならないと気づいたからです。
そのあたりから視点が切り替わり、多文化ソーシャルワークに関心が向きました。
――先生がハンガリーを離れたのちに、ハンガリーは移民問題、コロナウイルス感染拡大、ウクライナ戦争と、世界の状況とともに大きく変化し、注目されています。今のお立場で、今日のハンガリーをどのように見ていますか。
コロナウイルスの感染拡大の前と後で、社会が特に大きく変わった印象があります。帰国してもポスト・コロナのハンガリー社会は馴染めない気がしてしまって・・・。日本の方がしっくりきます。
ハンガリーは第一次世界大戦の前がオーストリア・ハンガリー二重帝国だったこともあり、歴史が複雑です。
第一次世界大戦後は、敗戦により解体され国土を大きく削られて、戦間期はかなり右翼的な政策をとり、第二次世界大戦は枢軸国になりました。また、第二次世界大戦の敗戦後、ソ連の影響下で鉄のカーテンの東側に置かれ、社会主義の時代になりました。
1989年から民主主義に転換したところを受けて、90年代から今日のような機運が掘り起こされてきている印象があります。
その反面、これはオーストリア・ハンガリー二重帝国の遺産といえますが、少数民族については日本とは逆で、法律上の権利保障は比較的しっかりしています。
歴史的な少数民族の権利を保障する法律は、社会主義時代はなかったのですが戦前にもありましたし、90年代以降に改めて制定されていて、たとえば母語による放送や教育などについて保障している内容です。
世界的な現象である「少子化」を
どう考え、どう対応していくか
――今日の日本の社会福祉ですが、課題は山積しています。
私はその前提として「少子化」が今後の日本社会の中で一番大きな問題だととらえています。それが将来の競争力などにつながっていくためです。
ただし、これは日本だけではなく、ハンガリーもヨーロッパ諸国も悩んでいるところです。
北米やオセアニアの歴史的な移民国家は、競争力を維持するために政策を強化しています。国を魅力的にし、世界中から優秀な人が集まって気持ちよく生活できる環境づくりを工夫し、国の競争力を保ち、高めています。それがいわゆる人手不足などの問題の解決にもつながっています。
日本の場合、そのことは、ソーシャルワークも福祉も含めて、日本人だけで全てを埋めなくてはいけないとは思っていません。
その反面「安く外国の人を雇えばいい」ということではなく、日本人にとっても外国人に対しても、魅力あるよき社会をつくっていく必要があります。
――他国と比較しときに「日本は課題もたくさんあるけれど、今はとりあえずなんとか保っている」という見方もあります。
そう、まさしく「今はとりあえずなんとか・・・」がキーワードです。
人が増えないと、この国の福祉は持続可能ではないという見方も逆にできます。そこが私は一番心配しています。
また急に出生率が上がり人口がいきなり増えたとしても、社会保障的に見れば、新しく生まれた子どもたちが雇用年齢まで育つ20年間は出ていくだけですから、大きな負担になります。
しかし、他国を見ても少子化対策に成功している国は、それほどはないのです。この東アジアは、日本、韓国、中国などが低い水準なのですが、ヨーロッパもそれほどいいわけではありません。
ハンガリーも含めてどこも少しずつさまざまな政策の試行錯誤を繰り返して、児童手当てを増やすなどの優遇政策をしていますけれども、投資するほどの効果があるかというと・・・おそらく長期的にはないのではと個人的に思います。
生きやすい、子育てをしやすい社会をつくることが何よりも重要です。
そこにたとえば外国の人を入れたとしても、外国の人も次の世代から日本人と同じように出生率がグーンと下がるわけですから。
日本人にとって生きにくい社会は、外国人にとってはさらに生きにくい社会です。単純に外国から人を受け入れてそれで解決できるというわけにはいきません。
また、福祉の両面性も知っておく必要があります。
昔は子どもの数の多さは老後の社会保障のようなところもありましたが、そこに公的な社会保障制度ができて、老後は介護保険や年金があるので子どもを無理につくらなくてもいいし、結婚もしなくてもいい時代です。
社会福祉の発展や年金制度の普及の結果として子どもの数が減っている、ということもあるのです。
さらに地球全体で見れば、少子化による人口現象と自然環境への負担の軽減は悪いことではない、という見方もできます。
「大人しくないソーシャルワーカーになろう」
に込めた思いとは
――高校生の進路意識がこの分野になかなか集まらないことも課題のひとつです。
他の国を見てみると・・・ソーシャルワーカーは人気の職という国もあります。詳しくみると、ソーシャルワーカーの仕事が知られている、社会的な認知度が高い国では人気があるのです。
日本では福祉というと、一般的には「高齢者のお世話」というイメージになりやすいかもしれません。「やさしい」とか「人に寄り添う」とか大人しめなイメージじゃないですか?
人気職になっている国では「社会正義のために戦う仕事」「人権のために戦う仕事」なんです。ソーシャルワーカーの仕事がどれほど面白いか、有意義な仕事として根付いています。そういうかっこいい印象が定着している国では人気の職業なのです。
そのことが高校生はもちろん、保護者や高校の先生も含めて社会全般でわかってほしいです。認知の高い、つまり仕事内容まで一般的に知られている国は、先進国も途上国も含めて人気があります。
そのような意味で私は「大人しくないソーシャルワーカーになりましょう」と学生に呼びかけています。
――その点では、私たちメディアも情報の発信が不十分かもしれません。
ソーシャルワーカーは、利用者の生活全般に関わります。
一方的に支援するのではなくて、利用者自身が「自分の人生の主人公」になれるように後方支援をする仕事ですから、相手の生活文化や習慣、生きていく上での価値観を把握し、その人がどのような目標や夢を持っているのかを知り、モチベーションを引き出す必要があるのです。同じ日本人であったとしても、社会階層や地域によって全然違いますし、生きがいなども異なります。
その点では、利用者の生命に関わる医療に関する仕事と同じ「怖さ」もあります。
今この時点で生活保護を出すか出さないのか。
この時点で虐待を受けている子どもの家族分離をするのかしないのか。日々の生活の質はともかく、その後の人生の在り方すべてに大きく関係してきます。
その人の主体性を保ち、夢や生きがいを一緒に見つけていく、当事者の日常生活と今後の人生に非常に大きな影響を与えてしまう仕事です。
ソーシャルワークは「人のために戦う仕事」。
それは「社会を変える力のある仕事」。
保護者にも高校の先生にも具体的に知っていただき、人と関わることに関心がある高校生の皆さんは、広い視野で利用者の生活課題の解決を支援できるソーシャルワーカーをぜひめざしていただきたいと思います。